平成23年9月18日
September 18, 2011
V
新得町 トムラウシ温泉 東大雪荘
日帰り客が利用できる休憩所です。
帰路目に入った石碑だった。トムラウシ開拓の父、十勝日日新聞創設者。十勝川本流の調査中に巨大な羆に襲われ絶命したとネット上にあった。
キナウシ開拓の歩み
昭和21年、僻遠の地トムラウシにも開墾の鍬が打ちおろされた。
時あたかも食糧難時代である。開拓精神と食料増産の大儀に燃
える開拓者たちは、うっ蒼とした原始林を縫うようにして走る一筋
の林道を、ひとりふたりと上っていった。生活の資材も糧も人の背
にたよるほかはなく、夏の間中土場から屈足へ不定期に往復する
森林軌道が唯一の足であった。
この地一帯のキナウシ地区は、トムラウシ開拓五地区の中でも最
も若年層で占められた地帯で、やがて開墾建設の重要地区として
伐開・除根・暗渠・農道工事が急速に進められ、年と共に緑の耕地
がこの谷あいに拡がっていった。最○○には、開拓農家十二戸、
営林署官舎五戸を数えるまでになった。
しかし昭和二十八、九年の冷害、加えて昭和三十七年の十勝岳噴
火による降灰被害等、打ち続く自然災害に、かっての燃ゆる如き開
拓意欲も次第に消え離農者が相次ぎ、残存農家も酪農へと転換して
いった。だが、昭和四十四年十勝ダムの建設計画が発表され、調
査検討のあと、昭和四十八年着工の運びとなり、このキナウシ地区
も湖底に沈むこととなった。
ここに、理想郷建設への夢を追い続けて来た、三十年にならんとす
る開拓者の努力もその幕を閉じたのである。
湖底に眠る幾多の霊に心安かれと祈りつつ。
昭和五十九年九月建立
入植者一同
上流がダムに沈んだ沼田の幌新温泉を訪ねたときにも同様に整備された公園を見かけたが、艱難辛苦で築き上げてきた土地が湖底になるのは
所縁のあるものにはやはり辛いことだったでしょう。