平成23年11月13日

November 13, 2011

 

 旭川市東鷹栖 興国神社

現在の旭川市東鷹栖と鷹栖町にかけて明治28年以降華族農場松平農場があって、未開地の開拓に多大の功績があったとのことだが、東鷹栖の興国神社

は松平農場の鎮守社として建立された楽山神社がその源だ。開発の進んだ現在松平農場の記憶に繋がる建物を見つけることは出来ないが、旭川北

インターチェンジ付近が農場の中心で現在の旭川市東鷹栖と鷹栖町にまたがる1,000町歩以上の耕地面積を保有していたようだ。

ご神体として大国主命おおくにぬしのみことと徳川家康の次男、結城秀康の三男で島根松江藩の始祖松平直正を祭る。

 

松平農場には富山出身者が多かったことから、派手な浴衣に紅白布をたすき掛けにし、美しい花のついた編み笠をかぶる越中盆踊りが伝えられ東鷹栖文化祭11月などで披露されている。

 

第二代および四代の管理として松平農場の経営に当たった内田自身の農場が当時妹背牛町にあって、現在の妹背牛温泉ペペルの中でも功績が紹介されていた。

内田瀞きよし開拓の足跡

安政五年高知市ニ生ル、明治十三年札幌農学校一期生トシテ卒業シ開拓使に使へ未開ノ釧路、根室、北見ノ奥地ヲ探検シ十勝大平野ヲ発見ス同十九年北海道庁ニ奉職植民地撰定事業ヲ推進シ全道ヲ踏破シ区画割ヲ制定ス、同三十一年

東鷹栖村松平農場に招聘サレニ十余年ニ亘り其ノ開拓に専念スル傍ら、上川郡農会長ニ就任シ農事ノ発展ニ尽くス、夙ニ近文ノ土質ガ水田ニ適スルコトヲ察知し同三十一年近文土功組合ヲ設立シ組合長トシテ永年ノ努力ニヨリ灌漑水利ヲ完成

ス其の一生ヲ開拓に捧ゲ農村の平安ヲ祈りツツ昭和八年九月五日昇天高台山ニ眠ル

昭和五十五年八月孫内田健二誌ス

 

 

頌徳碑しょうとくひ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 旭川市東鷹栖 興国神社

そのT
そのU

 

 

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