平成23年11月20日

November 20, 2011

 

忠別太駅逓第一美瑛舎

旭川市建築部のホームページによると「上川地方に現存する最古の建築物で、1886(明治19)年、上川郡農作試験所として建てられました。その後、一室が測候所に利用されるなど幾多の変遷を経て、

1889(明治21)年、忠別太駅逓として開駅し、多くの人々が利用しました。」とある。美瑛川、忠別川の合流地点の川下、現在の旭川大橋のたもとに建築当初の姿に復元されている。

 

 

 

 

1990
旭川市開基100年

上川郡農作試験所事務所棟
(忠別太駅逓第一美瑛舎)

この建物は、北海道庁により上川郡農作試験所事務所として明治19年(1886)せ建設された、上川地方に現存する最古の建物である。

内陸開発の拠点として上川を選定した北海道庁は、明治19年、上川仮新道の開削に着手するとともに、農業の適否を見極めるため

忠別太に試験畑を開墾して試作を行った。その事務所として建築されたのがこの建物で、視察などのため上川を訪れる人々の宿泊にも

供された。明治20年、建物は上川仮新道改修にあたね樺戸監獄署に移管されて同旭川市忠別派出所事務所となり、翌21年には建物

の一室に上川二等測候所が設置、22年には測候所内に官用の電話局も設置された。明治22年、建物は人馬車継立兼休泊所(一般に

駅逓という)として貸し下げられ、忠別太駅逓第一美瑛舎として発足、明治36年の廃止に至るまで開拓期の人や物資の流通に大きな役割

を果たした。駅逓廃止後、建物は民間に払い下げられ、住宅として改変が加えられたが、昭和41年上川地方最古の建物として旭川市文

化財に指定するとともに、昭和62年に解体調査を実施、翌63年には建築当初の姿に復した。

旭川市教育委員会

 

 

 

 

 

 

 

上川郡農作試験所跡

明治十九年四月、北海道長官岩村通俊の命を受けた高畑利宜は、他の事業と共に、作物の試験を行うため、同年五月に、この付近、ほぼ一町歩を開墾し、

二十数種の豆、野菜を播き、作柄も良好であった。このことから、この場所は上川農業出発の地ということが出来る。

旭川市教育委員会

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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