平成23年12月25日

December 25, 2011

 

旭川神社

旭川神社のホームページに<明治25年旭川屯田400戸が入植。屯田中隊事業として村社建設を決議。明治26年本殿を造営し、村名をとり旭川神社と称した。

境内社顕勲神社は当初「東旭川護国神社」。日露戦争から大東亜戦争にいたる戦没者413柱を祀る。>とある。

旭川神社には過去の歴史となっていない戦後が今もありそうだ。

  

旭川兵村記念館

10月21日から4月23日は冬季休館とのことでした。

 

 

 

 

 

 

疎林地帯の永山と異なり巨木が生い茂る東旭川の地は開墾に遅れが出て、後々まで貧乏村と言われたそうだが、数多くの巨木が陽を遮っていたのかもしれない。

 

土功組合の功績の影には、前借金で過酷な労働を強いられたタコと呼ばれる労働者群もあったらしいが、その辺の歴史は何かの形で残されているだろうか。

 

 

 

 

 

<旭川>の呼称使用は現在の東旭川が先取だけあって、合併のなされた現在も第一、第二などは東旭川の学校に付けられている。

 

一時代あった東旭川のそね食堂に。

おばさんが亡くなってから味が変化したとの噂だった。

おばさんもいなかった。更に変化を遂げてしまったのかも知れない。

 

河川の改修に尽力した「旭川下兵村」第3大隊第3中隊第3代:難波田憲欽大尉、後の剣淵の中隊長の名前から名づけられているらしい。

旭川出身の洋画家難波田龍起はその子孫。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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