平成23年9月25日

September 25, 2011

 

東川町郷土館

縄文土器、開拓期の生活用品、農機具、かって旭川と結んでいた旭川電気軌道の車両などが陳列展示されていた。度重なる冷害、水害の歴史は現在豊かな農村となっているここも例外ではなかったようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

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温故知新

わが郷土東川の開拓は明治二十七年旭川村字忠別原野を区画し植民地とせられた時に始ま

る 実に七十有四年の昔である 翌二十八年香川富山愛知徳島等の団体合せて

八十戸は雄志に燃えて早くも入植の第一歩を印したのである。しかしそこが人跡未踏の大

原野であり熊狐狸の跳梁する千古斧鉞を知らぬ原始の大森林であったことを思えばそれ

ら先人の決意がいかに壮絶なものでありそしてまたその事業がいかに艱苦の多いもので

あったかを想像するに難くない 今や道北道央経済圏の中核として美田良圃に囲まれ教育

産業観光の隆昌をいたし名実共に文化農村の平和卿を建設するに至った 顧みてうたた感

慨無量のものがある ここにあらためて郷土開発の礎石となられた先人父祖の功績に対し

感謝の念を捧げ更にこの間幾度かの国難に際し愛国愛郷の精神に殉じたる多数の忠霊に対

してその冥福を祈念するものである 時あたかも開道百年の記念すべき歳に当たりここに平

和と開拓の礎をたて以って温故知新草創の古をしのぶと共に児孫よく開拓の精神に則りわが東

川をして日に月に進展して止まざる理想郷たらしめんことを願ってやまない次第である

昭和四十三年七月九日

東川町

 

   

以下平成23年11月23日追補

 

 

 

 

   

 

 

 

 

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